2018/01/04

野多目歴史散歩②
野多目は古くからの土地 -のためは遺跡の宝庫ー
この「野多目歴史散歩」では、私たちがまだ知らない郷土の過去を校区の皆様にご紹介し、私たちの「野多目」に対する理解を深めたいと考えています。調査・検討をしながらの掲載となりますので、ブログへの掲載は不定期となりますが、継続して皆様へお届けしたいと考えています。
【3】野多目前田遺跡(のためまえだいせき)
野多目前田遺跡(のためまえだ遺跡)は1981年開校予定だった野多目小学校建設前に発掘された遺跡です。調査は1979年11月~1980年6月までの7か月間にわたって実施されました。前回の【2】野多目拈渡遺跡(のためうちわたしいせき)で確認された貯蔵庫のようなものは有りませんでしたが、滑石を含む同じ時期の土器が出土しています。また、野多目池池畔でも土器が採集されていることから、縄文時代中期後半から後期前半にかけて、野多目に一大集落を形成していたと考えられています。

また、旧石器から古代にかけそれぞれの時代の珍しいものも出土し、縄文時代から弥生時代にかけての生活の移り変わりの様子がわかることで全国的にも有名な遺跡です。その中には弥生時代に作られた土製模造鏡、土玉、滑石製円盤(鉱物で作った台石)などを奈良時代の人々が掘り出し、水にかかわる祭事(雨乞いなど)に使ったと思われる物もあります。発掘された出土品は福岡市立博物館や埋蔵文化財センターに展示されており、一部は野多目小学校にも展示されています。

野多目前田遺跡 第Ⅰ調査区全景

<参考文献>
・福岡市埋蔵文化財調査報告書第85集 野多目前田遺跡調査概報 1982 福岡市教育委員会

みなさん、野多目小学校校歌 3番を思い出してください。
 弥生の遺跡 眠る里
 筑紫の文化 華慕い
 官家の歴史 繙けば
 明るく楽しい学び舎に
 若い力が 湧いてくる
この3番は 野多目前田遺跡のことを言っているものと思われます。
              野多目校区自治協議会
              野多目2丁目町内会

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