2017/12/04

野多目歴史散歩①
野多目は古くからの土地 -のためは遺跡の宝庫ー

【1】プロローグ
野多目は1万8千年前の旧石器時代、古い時代から人々の生活が営まれてきたと考えられています。特に縄文時代、弥生時代の大小たくさんの遺跡が発掘されています。福岡市埋蔵文化財センターの1階、第1展示室には野多目拈渡遺跡(のためうちわたしいせき)の大きなパネルが展示されています。
この「野多目歴史散歩」では、野多目4丁目在住の前公民館館長 石川さんのご協力をいただき、私たちがまだ知らない郷土の過去を校区の皆様にご紹介し、私たちの「野多目」に対する理解を深めたいと考えています。調査・検討をしながらの掲載となりますので、ブログへの掲載は不定期となりますが、継続して皆様へお届けしたいと考えています。

【2】野多目拈渡遺跡(のためうちわたしいせき)
野多目4丁目にあります野多目中央公園の下には、野多目拈渡遺跡(のためうちわたしいせき)が眠っています。縄文時代後期(今から約3000年前)の食料イチイガシの実を貯蔵していた穴が50基も確認されています。また、弥生時代前期末~中期(約2000年前)の竪穴式住居や食料貯蔵穴も発見されており、一段と大きな集落に発展したものと思われます。



古代の掘立柱建物跡です。
縄文時代の貯蔵穴です。

<参考文献>このシリーズでは以下の文献を参考にして作成していきます。
・野多目物語-歴史と文化財(南区地域振興事業推進委員会発行)
・福岡歴史探訪‐南区・城南区編(柳猛直著、海鳥社発行)
・南区ふるさと(福岡市南区民俗文化財保存会発行)
・塩原地区区画整理誌(福岡市発行)
・その他各種郷土史資料およびWebからの情報
               野多目校区自治協議会
               野多目4丁目町内会

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