野多目は古くからの土地 -大正の野多目ー
【11】小学校の4本の石柱について
野多目小学校の公民館側、プレハブ校舎の横に4本の石柱があります。この4本の石柱は、大正15年(1926年)3月に建造され、以後約70年間人や車の通行を見守ってきた「野多目橋」の橋柱です。当時の野多目地区は田畑が広がるのどかな田園地帯でした。牛馬車が往来し人々は稲作に従事していました。そのような田畑を潤していたのが老司川で野多目橋はその老司川にかけられた幅6m、長さ8mの小さな橋でした。現在の国道385号線 がんセンター入り口交差点が野多目橋があった場所です。
昭和40年代になると野多目地区は急速に都市化が進み、昭和56年(1981年)野多目小学校が開校、以来、野多目橋は十数年にわたって子どもたちの登下校を見守り、町の人たちの暮らしを見つめてきました。野多目で唯一、近世野多目の歴史を知る橋でした。
その後、人や車の往来が増え、既存の道路では対応できなくなったために、平成5年(1993年)国道385号線の路面が拡張されることになり野多目橋は改造されることになりました。
取り壊し際して、野多目小学校保護者や地域の方々より「地域の歴史を伝えたい、是非野多目橋の橋柱だけでも保存してほしい!」との要望を受け、平成5年(1993年)7月に野多目小学校校庭の一角に移設されました。
野多目1丁目1区町内会
向新町2丁目1区町内会
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